機動戦艦ナデシコ
REVISION
第一話 ナデシコに乗ろう!
「では、この条件でよろしいですね?」
そう言って眼鏡の男、プロスことプロスペクターはテーブル越しに向かいに座る青年にニッコリと微笑みかける。
その額にうっすらと浮かんだ汗は、交渉が必ずしも順調だったとは言えない証拠なのだろう。
対して向かいに座るその青年はというと、落ち着いた表情でやんわりと微笑みながら、
「結構です。では、これからよろしくお願いします」
とゆったり頭を下げた。
こちらは契約に概ね満足しているのだろう。
渡された契約書をもう一度、ゆっくりじっくり確認し、納得したのか一つ頷いてサインの欄にペンを走らせた。
「はい、これでいいですか?」
「結構です。それでは、ご希望通りメカニックの最優先での獲得と、エステバリスの改造費の捻出を会長と掛け合ってまいりますので」
「すいません。よろしくお願いしますね、プロスさん」
「いえいえ。こちらとしても貴方のような人材をこんな破格の条件で雇えるのですからそれくらいの融通は利かせますよ。改造費に関しましても、本来支払うべきお給料と雇用期間を考えれば安いものです。何より……」
「買いかぶり過ぎだと思いますけど……プランとそれに利用した技術はネルガルに提供させていただきますよ」
「それならば、こちらと致しましては何の問題もございません」
技術提供に対する報酬がゼロになる事を考えれば、改造費など出したところでお釣りがくる。
契約だけをみれば青年の大損なのだが、プロスは予めこの青年の性格を聞き及んでいたのでそんな事はおくびにも出さずに笑顔でサインされた契約書を受け取って鞄に仕舞いこんだ。
「では、“ナデシコ”には明日から入れるように手配しておきますので。これからよろしくお願いしますね、
・
さん」
「……会長。これでよろしかったですか?」
が退室した後、プロスは出口ではない、もう一つ備え付けられていたドアの向こうに向かって声をかけた。
「経歴を見たところ、パイロットとしての能力以外はまったく未知数といった感じですが……」
すると、何の前触れもなく開いたそのドアの向こうから髪の長い、ニヒルな表情の二枚目が姿を見せた。
「それにしては随分持ち上げてたよね?
まぁ彼はそんなの気にしてなかったみたいだけど」
「ええ。恐らくお世辞だという事は見破られていたでしょうな。そういった意味では確かに賢いし、勘のいい人物ではあると思いますが」
「その辺はもちろんなんだけどね。彼に関しては結構面白い噂が入ってきててさ」
「面白い噂、ですか?」
「うん。館長候補の彼女を調べたときなんだけど。彼女の一年先輩に、成績超優秀だったのに一年足らずで自主的に中退しちゃった伝説の天才ってのがいたらしいんだよ」
「……それが彼、ですか」
そう言って可笑しそうに薄く笑う会長に、プロスは半分諦めたような溜め息を零す。
「まぁいいじゃない。カスタマイズに関しては、明らかに夢物語なら却下出来るんだし、使えそうならこっちに流用できる。優秀な技術屋一人分浮いたって考えればたいした出費でもないでしょ?
プランが使えない物ならパイロットとしての給料だけ払ってればいいんだし」
「……そうですね。長期的な目で見るならば、それもよろしいでしょう」
数日後、ナデシコの格納庫で先ほど顔合わせをしたばかりの整備班の連中と作業していたウリバタケ・セイヤは、まだ整備班以外はネルガルの社員しか出入りしていないはずの船員のブロックのほうからやってきた一人の青年を見つけた。
赤いネルガルの制服を着て長い髪を襟足で束ねたその青年は、キョロキョロと辺りを見回しながら格納庫を歩いていたが、セイヤと目が合ったと思うとふわりと微笑んで歩み寄ってきた。
「ウリバタケ・セイヤさん、ですよね?」
「ああ。そうだが、アンタは?
その制服は……パイロットの着任はまだまだ先だったよな?」
いきなり名前を当てられて驚いたセイヤだったが、なんとかそう聞き返す。
「俺は
・
。一応パイロットとして雇われました」
はそう言ってもう一度、ふわりと柔らかく微笑んで見せた。
そんな笑顔にすっかり毒気を抜かれてしまったセイヤは、困ったように苦笑してそれに応える。
「一応ってなんだよ、一応って」
「基本はパイロットなんですけど、まぁ他にも状況次第で艦長さんの補佐とか色々やらなきゃいけないみたいです。やりたくはないんですけどねぇ」
そう言って苦笑する
を、セイヤは一目で気に入った。
話を聞く限りでは、
は恐らくクルーの中でも一番重要なポジションにいる人間の一人。
自分の仕事を分かっている以上その事実も理解しているはずなのだが、
本人は偉ぶった様子など微塵も見せない。
「アンタ、そんなポジションにいるのになんでこんなトコフラフラしてんだ?」
思わず聞いてしまったセイヤのそんな質問にも、
「状況次第ではってことは、基本的には暇って事なんですよ」
と笑って返す。
「あ、それよりセイヤさん。そのジャケットって、まだ余ってます?」
「ジャケット?
これか。ダークグレーのならたしか一着余ってたと思うが……ああ、これこれ。なんだ欲しいのか?」
の言葉に足元のダンボールを漁ったセイヤは、そこからビニールに入ったままのダークグレーのジャケットを引っ張り出した。
「余りもんだが、欲しけりゃやるよ」
そう言ってセイヤが投げてよこしたジャケットを、
はその場で制服の上から羽織り、そして満足げに頷いた。
「これで作業が出来る」
「作業? 何する気だお前?」
「ん?
……あ、そうだった。言ってませんでしたね。実はセイヤさんに是非協力してほしいんですよ」
「なんだぁ?」
「これなんですけど……」
そう言って
はポケットから数枚まとめて折りたたまれた紙を取り出してセイヤに手渡した。
怪訝な顔をしてそれを広げたセイヤだったが、その内容に次第にその紙を持つ両手に力が入り始める。
そして、
「これを……やろうってのか?」
何かに挑むような、嬉しそうな表情で
に確認するセイヤ。
「えっと……あぁ、あれだ。あの白いエステバリス、俺専用になるんですよ。改造の許可も、それに伴う予算の捻出ももう交渉は済んでます。一応プランを立てて計画書を提出しなきゃいけないし、改造の手順なんかの記録の提出も必須なんですけど、その代わり予算は本当に必要な分なら惜しまないってプロスさんが言ってくれました」
「……つまり、報告の義務さえ怠らなきゃお前のエステは改造し放題って事か?」
「僕の希望通りに、ですよ。この大まかなプランで僕の希望の傾向はセイヤさんには分かってもらえると思いますが」
そんな
の言葉にセイヤは興奮したように何度も頷いてみせる。
「完璧な近、中距離専用機にする気だな?
銃型の装備を一切持たず、火力も無しに、機動性を極限まで高めて」
「はい。換装せずにどんな状況にも適応し、なおかつスピードを極限まで上げる。その代償に銃型の装備と長距離を捨てる。完全な格闘戦エステです」
簡単に内容を説明した
は、いまだ興奮状態で渡された紙の上に視線を走らせるセイヤに告げる。
「実は、メカニックのチーフになるセイヤさんが誰よりも早くスカウトされたのはこの改造のためです。協力、してもらえますか?」
そう言って微笑む
。
もう返事は分かっていた。
セイヤの姿をみれば、返事など誰にでも予想がついてしまうから。
「もちろんだっ!
こんなプランは考え付きもしなかったが、この理論でいけば実現可能なはずだ!
こんな面白そうな事、乗らずにいられるかっ!」
セイヤはそう言ってニヤリと笑うと、近くの整備班の人間数人に声をかけて集めた。
「コイツ等の手も借りる。お前のプランと理論で、注文どおりに仕上げてやるぜ!」
そうして暫く後。
艦長の乗船のその日、興奮して三日も早く乗船してしまったパイロットがいた。
「おおっ!
おおっ!!
うおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっっ!!!!」
魂の名前、ダイゴウジ・ガイ。本名ヤマダ・ジロウである。
赤いパイロット専用の制服に身を包んだ、ハンサムと言えなくもないがかなり濃い顔立ちと暑苦しい雰囲気の彼は、あるものを見上げて大歓声を上げていた。
ガイの視線の先にあるのは白いエステバリス。しかし原型とは違い、カスタマイズされている。
「すっげぇぇぇぇぇ!!!!
なんだコレ!? 犬っぽい耳! 両手両足の爪! うおっ!? ナイフも普通より長いんじゃねぇかっ!?」
そう。それは
とウリバタケが共同でカスタマイズしたエステバリス。
「イメージは狼だよ」
一人で大騒ぎしているガイに、セイヤが鬱陶しそうに説明する。
「ソイツは先着してるパイロットの専用機でな。そのパイロットと俺でカスタマイズした、銃型の武装他ありとあらゆる火力を切り捨てて機動性に特化させたもんだ。ちなみに狼の耳の部分はスラスターで、あの尻尾に見えるのはフラップみたいな役割をする。高速でも素早く方向転換するためのもんだ。どうだ。趣味に走ってるように見えて理に適ってんだろ」
説明しているうちに作業工程などを思い出したのか、段々と話に熱の入るセイヤ。
聞いていたガイも、元々暑苦しいのにセイヤにあてられたのかさらに興奮して、
「くぅぅぅぅぅぅっ!
いいねいいねっ! 自分専用のカスタマイズッ!
これぞパイロットの夢っ!」
とついには涙まで流し始める。
「いやぁ、メカニックとしてもプラン出された時は思わず身震いしたぜっ!
理論上は全部可能なモンだったし、予算の交渉まで全部済んでやがった! 心置きなく改造出来るってのは楽しかったぜ!
お、そうだ」
熱く語っていたセイヤは、ふと何か思い出したようにコミュニケーターを取り出して、
「おうっ
」
と呼びかけた。
それに応えるようにしてセイヤの前に飛び出したのはタオルを頭にかけた
。
『ん? あれ、セイヤさん?
なんで強制的に繋げるんですか』
「あ、わりぃわりぃ。やっと最終調整終ったんで早く報せてやろうと思ったんだが、風呂上りとは……髪下ろしてると肩から上は女みたいだな、お前」
『……何言ってるんですか。こんな体の女の子嫌ですよ。まったく……それより、女性は回りにいないでしょうね?』
タオルを頭にかけ、上半身裸のままコミニュケ越しに苦笑する
。
「はっ!
整備班の連中しかいない格納庫でそんなのいるわけねぇだろ。ったく、ネルガルも女メカニックの一人や二人雇ってくれたっていいじゃねぇか。なぁ?」
『あははっ。まぁいてもいいんじゃないかとは思いますけど……どうなんでしょうね?
っていうかセイヤさん既婚者でしょ? 美人の奥さんいるじゃないですか』
「アイツの話はいいんだよっ!
欲しけりゃくれてやるっ!」
『んじゃ今度貰いにいきます』
「……は?
あ、いや……い、いいいつでもこいっ!」
上手い事話を逸らした
。
なんだかんだいっても奥さんの事を憎からず、というか大切に思っているのだろうセイヤ。
売り言葉に買い言葉と言った感じで奥さんを貰いにいくと笑顔で答えた
に、セイヤは一瞬我を忘れていた。
『冗談ですセイヤさん。大体奥さんくらい美人じゃ俺なんか相手にされませんよ。弟扱いされるのがオチなんで、俺は俺で分相応に生きます』
「は、はっ!
ま、まぁそういうんじゃ仕方ねぇ。気が向いたらいつでもこいよ。んじゃとにかく、適当にこっち来てエステ確認してくれ」
『はーい。髪乾かしたらいきますね』
通信終了。
一部始終を横で見ていたガイは唖然としていた。
「今のがコレのパイロットか?」
そんなガイの表情をみてセイヤは、コミュニケを通してみた
の事をいっているのだと気づくとニヤリと笑う。
「ああ。とてもそうは見えねぇが、アイツは一種の天才だな。目的のための努力は何一つ惜しまない、技術屋とか科学者タイプの性格してるが、パイロットとしての腕も超一流だ。機動テストで何度も見てるが、コイツがなんで軍にいねぇのか不思議なくらいだぜ」
容姿は上の中クラス。一人で町を歩けば十人中半分以上は振り返るくらいの容姿で、落ち着いた物腰の普通の青年。
どこにでもいそうなそんな青年がパイロットとしてとんでもない才能を持っている。
そんな話はガイにとって、
「うおおおぉぉぉぉぉぉぉ!
燃えるシチュエーションだなそれはっ! どこにでもいそうな青年が実はパイロットとしての才能をもってるなんてまさにロボットアニメの主人公!!!!
こりゃ俺も負けてられねぇぜ! おっさん!
俺のゲキガンガーはどれだっ!?」
ヒートアップする要因にしかならなかった。
すっかり燃え上がってセイヤをおっさん呼ばわりし、ジタバタと動き回るガイにさすがにセイヤももう付き合いきれないのか、
「あ゛ぁーもうっ!
お前はそっちの二機のどっちかだっ!
好きなほう勝手に見て来いっ!」
と鬱陶しそうにしっしと手で追っ払いながらショッキングピンクと青のエステバリスのほうに手をやるセイヤ。
「改造はっ!? 俺のは改造してくれないのかっおっさん!?」
「しらねぇよ!
したきゃ自分で予算交渉してプラン持って来いっ!
はそうしてきたんだ!」
そして作業に戻っていくセイヤ。
残されたガイは、二機のエステバリスを見上げて不敵に笑っていた。
髪を乾かし、いつもどおりに束ねてセイヤにもらったダークグレーのジャケットを羽織った
が格納庫に着くと、
「ルェッツグォォォォォォ!
ゲキガンガー!!!!」
ショッキングピンクのエステバリスが超ハイテンションに踊りまわっていた。
なにやら楽しそうに喚き散らしているパイロット。
そして、そんな様子を上から普段着の青年が眺めていた。
セイヤが拡声器を使ってダンシングパイロットと会話を試みているのを確認した
は、自分は係わり合いになりたくないとばかりにそこを避けてデッキに上がる。
「君は、誰かな?」
いきなり声をかけられた青年は驚いたように振り向き、そして
の姿を確認すると、
「て、テンカワ・アキトっす。つい今さっきコックとして雇われました」
と少々緊張気味に頭を下げた。
対して
はふわっと微笑み、
「俺は
・
。そっちの白い狼みたいなののパイロットだよ」
と、すぐ傍に立っている白いエステバリスを指差した。
「コックさんか。ならこれから色々お世話になるね。よろしく、アキト」
「え?
あ、はい……こちらこそ、よろしくお願いします。えと……」
「あ、名前?
でいいよ。歳はそんなに変わらないだろうし、あと畏まったのはあんまり好きじゃないから」
「はい。じゃなくて……わかった。これからよろしく、
」
歳は実は
のほうが三つほど上。
それはなんとなく分かっているのか硬かったアキトも、
の柔らかい微笑みと穏やかな口調にすっかり緊張が解れ、まだ少し遠慮がちではあるが友人に対するような口調になる。
「じゃ、俺はこれから自分のエステの確認にいかなきゃいけないから」
「あ、うん。じゃあまたな」
そしてアキトに別れを告げ、自分のエステバリスに向かった
。
残されたアキトがぶっ倒れたエステバリスのコクピットから出てきたガイに何か言われているのを背中で聞きながら、近くにいた整備班に挨拶を済ませて自分の機体に乗り込んだ。
それとほぼ同時の出来事だった。
艦内に緊急のアラームが鳴り響いたのは。
「これは……敵襲?」