Jack the Ripper on the Field

Soccer for you



















「さてと……取り越し苦労ってゆーんだっけ? それならいいんだけど」

初練習に参加したその日の夜、 は不破や風祭と分かれた後学校に引き返した。
きっかけは練習終了後に起きた一悶着。
3年生のいないサッカー部なら押さえつけもないし人気のあるスポーツだから女子にモテると考えて入部届けを出した2年達三人が、その事でシゲに馬鹿にされ勝手に退部するというちょっとしたハプニングが起きた。
水野達は皆馬鹿にしたような呆れたような視線でその3人を笑いものにしていたのだが、 はその中で初めから悔しそうだった風祭以外に一人だけ違った目で3人を見ていた人物を見つけたのだ。
そしてその3人の目に宿っていた腐りきった光も見逃していなかった は、もしかして何かあるかもしれないと部室に引き返したのだ。

「ん? 物音がする」

サッカー部の部室まで来ると、 はその部室の中から物音がしている事に気がついた。

(?! 遅かった?!)

急いで部室まで走る
そして半開きになったドアを開ける。

「ボールを傷つけようとするような奴らに、サッカーやる資格ねえよ……?!」

気を失った奴らはやはりあの3人だった。
そして の目の前には帽子を目深に被った人物が立っている。
が入ってきたことに焦ったその人物は、帽子をさらに深く被って の横をすり抜けて走り去る。

「あ、ちょっと!」

はその人物を追いかけた。
多分予想していた人物だと言う核心があったのだろう。
学校内で追いつく事はわざとせずに学校の外にわざと追い出すように走った は、

(たしかこの先に公園があった気がする)

とランニングしていた時の記憶を引っ張り出し、追いつき時はこの辺りだと判断して一気に加速した。
急に加速してきた に相手も焦ったが、元々余裕を持って走っていた とは違いこの人物は初めから必死に逃げていたのでどうする事もできない。
とうとう が追いつき、相手の手首を掴んだ。

「こ、このっ! 放せ……「小島有希さん、だよね?」……?!」

必死に抵抗して逃げ出そうとする相手に、 は優しく呼びかける。
ビクッと反応したところを見ると、当ては外れていなかったらしい。
躊躇いながら振り返ると、帽子をゆっくりと取った。

……どうして分かったの?」

気の強そうな目で睨むように の目を見返してくる有希。
はそんな視線を笑顔で受け流し、

「ちょっとそこの公園で話そうか?」

とさっさと先に歩いていく。
慌てて後を追った有希は、 に促されてベンチに座る。

「ゆ……じゃなくて小島さん、プレイヤーでしょ? グラウンドで挨拶された時ちょっと気になってまわりの女の子と比べてみたんだ。そしたら足の筋肉のつき方が平均的な女の子よりも陸上部で走ってる女の子に近かったからもしかしてと思って」

……たしかに私はサッカーするけど……でもじゃあ今晩はなんで……

「サッカー部の皆はあの3人の事を呆れたような目で見てたけど、二人だけ違った目で見てた人がいたんだ。一人は悔しそうにしていた将。そしてもう一人がゆ……小島さん。小島さんの目は怒ってたから、もしかしてと思ったんだ」

終始微笑んだままの に有希は段々と不安になってくる。
一体この男は何がしたいのだろう、と。
気の強そうな力強い目に段々と不安の色を混じらせながらも有希は気丈に、

「で? アンタも女なんかがサッカーするなとでも言いに来た訳?」

と皮肉っぽく笑って見せる。

「いや、そんなつもりはないよ? 僕は元々ロンドンでサッカーやってたから女の子のプレイヤーは見慣れてるし。むしろ日本にはなんでそんなに多くいないのかの方が不思議なんだけど」

しかし はそう言って本当に不思議そうに首を傾げた。

「まぁ女子部ってないみたいだし、男に混じってって言うのは難しいのかな? でもさ、ああいったのに八つ当たりしても面白くないでしょ? だからさ」

そう言って有希の足元にボールを放った。

「僕とサッカーしよう。マネージャーやるって決めたみたいだから僕はそれに関しては口出さないからさ、その変わり練習付き合って」

有希は終始微笑んでいる に唖然としていた。
それまでの有希の周りの人間は皆女である有希がサッカーをする事に関して否定的な言葉しか言わず、両親にさえ諦めろと頭ごなしに言われた。
しかし は、それまでいた環境の所為もあるのだろうが、そんな偏見など何もなく、あまつさえ自分の練習に付き合ってほしいと自分のボールを放ってくる。
それまで自分がサッカーに打ち込む事を認めてくれていたのがプロ選手である兄だけだった有希には、 がただ自分とサッカーをしようと手を差し伸べ、ボールを渡してくれる事がなにより嬉しかった。

「いいけど……甘く見てると恥掻くわよ?」

嬉しくて笑顔が零れそうになるのを必死に堪えてそれを挑戦的な笑みに変えた有希。
しかし次の瞬間、有希は の浮かべた攻撃的な笑みにすべてを持っていかれそうな感覚に陥る。

「そっちこそ、ただのサッカー好きの転校生だとは思わないほうがいいよ?」

そう言って笑みを濃くした は無造作に眼鏡を外してポケットにしまい、有希に近づく。
改めて足元のボールを確認したすっかり呑まれてしまっている有希に、 は身を少しだけ屈めて言い放った。

「抜けるものなら、抜いてみな
























二人は公園の薄暗い電灯の下で真剣に1対1の勝負にのめり込んだ。

「はぁ……はぁ……ん、はぁ……

30分後、結局一度も抜けずに苦しそうに荒い息で地面に膝を付いた有希の視線の先に、 はいかにもいい汗を掻いたといわんばかりにリフティングをしていた。

「な、なんなのよ……アンタ。一度も……抜けない、なんて……

「僕だって伊達にロンドンでやってないよ? 一応結構強い所でやってたんだから」

そう言いながら はごめんと一言謝って有希の腕を取り、肩を貸してベンチに座らせる。
あまりにも自然で邪気も下心もないその動きになんの抵抗も出来なかった有希は、暫くして思い出したように頬を染めたが、

「はい。ちょっとヌルいかもしれないけどこれ飲んで落ち着いて」

とまだ開いていないスポーツドリンクを渡してリフティングを始めた にまた唖然としてしまう。
ちびちびと遠慮がちにそれを飲んでどうにか呼吸も落ち着くと、そんな様子が分かったのか はリフティングを止め、自分の荷物を掴んで、

「さ、もう遅いし、今日は帰ろう? 途中まで送っていくから」

と言いながら眼鏡をかけ直し、またふわりと笑った。
始めは一人で帰れるとごねた有希だったが、女の子を一人で返すわけには絶対に行かないと一歩も譲らない にとうとう折れて今は半歩前を歩いて帰路についている。
ポンポンと器用にリフティングをしながら有希の歩くペースにあわせている を、有希はそっと振り返ってため息をついた。

(何なのコイツ? テクは半端じゃないし、体力は化け物。おまけに眼鏡は伊達だしちょっと女顔だし。体が大きいわけでもないのに……ロンドン帰りってだけでこんなに違うものなの?)

物思いにふけながらただ黙って歩く有希に、 もただ黙ってリフティングをしながらついていく。
しかし有希はそんな小さな疑念とは別に、 の空気がとても心地いいと感じ始めていた。
の前では有希は自分を偽らないですむ。
自分がサッカーをするという事を何の偏見もなく認めてくれているし、 の実力が結局の所どれくらいかは分からないが自分が本気で挑みかかっても手も足も出ないと思えるほどにきちんと相手をしてくれる。

「もう、すぐそこだから」

そう言ってから少しだけ名残惜しく感じた有希は、

「あのさ……

と特に用があったわけでもないのに呼び止めてしまった。
ん? と首を傾げている に何か言おうと有希が四苦八苦していると、

「そういえば……

が思い出したように手を叩いた。
それを渡りに船とばかりに有希は顔を上げる。

「嫌だったらそう言ってほしいんだけど……有希、って呼んじゃ駄目かな?」

…………へ?」

「いや実はさ。苗字で呼ぶのって慣れなくて……そんな習慣なかったからね。やっぱ嫌?」

「あ、う、ううん。別にいいわよ? なら私も って呼んだほうがいい?」

「あ、うん。強制するつもりはないけどその方がしっくりくる」

「じゃあそうするわ」

有希の返事に嬉しそうに笑う
つられて有希も笑顔を零す。

「じゃあまた明日ね、有希。とりあえずプレイヤーだって事は黙っとくけど、それでいい?」

「うん。あと、良ければ私も練習つき合わせてくれる? まだ……諦めてないから」

「それは喜んで

「ありがと。それじゃまた明日ね、

「また明日、有希」

そして と別れた有希は家に入り、親への挨拶もそこそこに部屋に飛び込んだ。
そのままベッドにダイブし、枕に顔を埋める。
なぜかというと……

「私、男の子を名前で呼んだのなんて小学校以来よ……

今更ながら少々大胆だった自分の行動にテレていたりしていたから。
まぁ帰国子女の に合わせたら日本では大胆になってしまうのだが、 といる間はそれが当然のように話が進むので本人はそれに気づけない。

(でも……なんか落ち着くのよね、アイツ。まだ今日始めて会ったばっかりなのに。それにサッカーは凄く上手いし……って、あれ? そういえば何で伊達眼鏡なんか……ん?)

頭に の顔が浮かんだ時、いつもの眼鏡をした優しそうな笑顔と眼鏡を外した時の攻撃的な笑顔の二種類が浮かんでふと不思議に思った有希。
そして眼鏡を外した状態の のほうに強いひっかかりを覚え……

「あの顔、どっかで見た事がある?」

転校初日で初対面だったはずの に既視感のようなものを覚えて有希は部屋で首を傾げていたのだった。





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